大きく息を吸いこんで
この日に言葉の花束をこしらえるようになって、5回目の春が来たようです。
はじめて書いたときは地元にいたわたしも、ひとり暮らしにすっかり慣れて。
春の日差しが差し込む自室で、かたかたと言葉を紡いでいます。
やまだくん、お誕生日おめでとうございます!
やまだくんはこの日を迎えるにあたって、どんなことを思っているのだろうなあ。
年を重ねることについてのやまだくんのお話のかけらたちをかき集めて考えると、
前向きなことも、そうでないことも、たくさん考えているのだなと感じます。
不安なこと、悩んでいること、
すべて知ることはできないし、無理に教えてほしいとも思いません。
やまだくんが選ぶひとつひとつの選択、伝えてくれることを大切に抱きしめながら、
やまだくんがこちらに見せてくれる(ことを選んだ)世界を愛していたいです。
「伝えたいこと 伝えないこと 僕の中で重なっていくんだ」
やまだ担であるわたしは、あなたが歌うこの言葉をとびきりの優しさだと受け取ることができます。
これは間違いなく、これまで幾度となく見せてくれた真摯な姿のおかげです。
「自分のために、何かをしてみる」「自分を大切にする」
やまだくんがこれからこう生きたいんだと教えてくれて、それをこちらに伝えてくれて、
わたしは本当に嬉しかった。
やまだくんが自分のためによくばりに、やりたい放題に生きている世界、
(スーパー深呼吸)
なんて素晴らしい世界なんだ〜!!
やまだくんが呼吸をしやすい世界でしあわせに笑えていれば、それ以上望むものはありません。
わたしはそれを、いいぞ、いいぞ〜!!って、
拳を突き上げながら後ろから見ています。
10の位がひとつレベルアップして始まる、きょうからの未来。
希望しかないなとわたしは思うから、やまだくんもそう思えているといいな!
そして、やまだくんが節目の年を迎えたということは、10年遅く生まれてきたわたしも、まもなくひとつの区切りのときを迎えるということになります。
家族や友達に対してするのと同じように、やまだくんにも心からのありがとうを伝えたいです。
出会ってくれて、わたしの人生の登場人物となってくれて、本当にありがとう。
人生の多くの時間、わたしはあなたのことを大好きでい続けています。
人生と呼べるほど大それたものではない、ちいさな生活のすみずみまで、あなたの存在がありました。
思い返したくもないほどつらかったときも、
とくに何も起こらない平凡な灰色の日も、
多くの人から祝福された喜びの瞬間も、
わたしのことを知らないあなたが、そばにいてくれました。
あなたに出会えたから今のわたしがいるのだと、言い切ることができます。
わたしは出会う人の縁に恵まれているなと感じることがよくあるのですが、やまだくんをすきになれたことももちろんそのひとつです。
眩しいくらいにかっこよくて、
それなのにふんわりと優しくて、
人並外れた輝く光をたくさん持っていて、
それなのに泥くさく戦い続けていて、
すきになったそのときからずうっと、
わたしにとってあなたは、世界でたったひとりの王子様です。
そしてこの一年の変化としては、
やまだくん一色だったこれまでのわたしの「すき」の世界に立つ人が、ひとり増えました。
今まではすきを向けることばかりしていたから、そのきもちが自分に向けられていることを実感するといまだにそわそわしてしまいます。
見返りなど求めずに、どうしてここまで優しい気持ちを贈ってくれるのだろうと、ふしぎにすら思います。
そのきもちを直接言葉にしてもらうことも、表情や行動から感じることも、じんわりと嬉しい。
すきを向けられてみてあらためて、やまだくんへわたしが贈る「すき」もそうであれたらと思うようになりました。
自分がどうあっても変わらずそこにいてくれる人がいることで、頑張れる瞬間がある。
愛されているという柔らかな確信のもとで生きることの幸せがある。
直接的になにかを届けることがむずかしい関係ではあるけれど、
ラジオやSNSを通して届ける言葉やコンサートであなたを見つめる表情で、
大好きでたまらないことや大切に思っていることが伝わったらいいな。
くるしいときに思い出してこころをふわっと包むような、
よしっと腰を上げるパワーとなるような、
重荷になるのではなく、お返しを求めるわけでもない、
そんなすきを携えて、ことしもやまだくんのうちわを振れたらと思っています。
節目を前になんだか締めくくりのような文章になってしまいましたが、もちろんこの恋はまだまだ終わりません。
この恋はハッピーエンドだってもうずっと前からわかっているけれど、まだまだすきでいたい。すきでいる!!
ことしで30歳になるあなたへ。
気持ちの良いすっきりとした5月の空気を吸いこんで、特大びっくりマークを添えて、伝えます。
やまだくん、だいすき!!
アウフヘーベン
湯気が立つように目尻を下げるから
わたしはきみをひらがなで呼ぶ
きょうの主役(ちなみにわたしにとっては365日主役)を想って詠みました。
だいすきなやまだくんの笑顔。
いとおしいものに向けるほほえみや、愛のまんなかで自然と生まれるくしゃくしゃなお顔がたまらなくすきで、
もはや「すき」のことばじゃきもちを取りこぼしていて、もどかしさすら感じてしまうほどです。
炊飯器を開けたときに炊き立てのつやつやごはんから立ち上る湯気とか、
1日の終わりにお風呂に浸かりながらぼうっと見つめる湯気とか。
そんな日常のこころがほどけていく瞬間と、端正なお顔がほわっと緩まるそのようすは、白く透明なもくもくで結びつくなぁと思ったのでした。
わたしはお手紙でもうちわでもツイッターでもブログでも、あなたのことをひらがなで書き表します。
でも、目に見える文字だけじゃなく、わたしがきみのことを惚気るときや、きみの名前を呼ぶときのそれも変わらずやわらかくありたくて、それで、ひらがなのかたちで呼んでいるのだよ、ということを言葉にしました。
(音の数に制限があるからふつうは「わたし」とは書かなくてよいと思うのだけれど、ひらがなでお名前を書くことははわたし自身のちいさなかたいこだわりなので、短歌にも自我が出ちゃいました)
それではあらためて。
やまだくん、
お誕生日おめでとうございます!
特別な日に寄せてことしはなにをしよう…と考え、新しいことに挑戦してみたくて、短歌(と呼べるのかはわからない31音の短い詩)をつくってみようと思い立ちました。
これまで綴ってきたブログたちとはちがって直接的なきもちの表現はないけれど、わたしがやまだくんに向けるまなざしの感じが表現できていたらいいなと思っています。
正直なところ、昨年から現在まで続く怒涛の修行期間の中で、よくもわるくも自分の中でいろいろなことが変わってしまった気がしていて。なんとなくさみしさや心もとなさ、足元の不安定さを感じています。
でも、ひとつおどろいたことがありました。
それは、やまだくんの手を離してしまった(とわたしが思っていた)ときも、やまだくんはそばにいてくれたということです。
たとえるなら、透明な糸がこゆびに結ばれているような感覚。
手はつないでいなくても、近くにいてくれたやまだくんのおかげでふっとこころの凝りが溶けたり、ぴっと背筋を伸ばしたりできました。
やまだくんがいまどんな髪色で、どんなお仕事をしているのかはわからなくても、
やまだくんがこれまで見せ続けてきてくれた真摯な姿勢、くれた言葉、わたしの中にある揺るがないだいすきのきもちが、
わたしを奮い立たせてくれました。
優しく励ましてくれもしました。
今、自分の世界が広がってゆくにつれ、たのしいと思えること、いっしょにいてしあわせだと思わせてくれるひとがどんどん増えていっています。
でもやまだくんのそばにいてはじめて知ることができるきもちも、まだまだたくさんある。
顔を見られた 声を聞けた、それだけで涙が出ることもあるんだな〜、こういう表情にわたしは弱いんだな〜などと、新しい自分を見つけたり。
すきな色のリップを塗ったひとに魅力を感じる、という言葉に背中を押されたり。
だから、これからもわたしはきっとやまだくんを追いかけ続けるんだろうなぁと、確信に近いきもちで思うのです。
きもちを保つためにメモ帳に書き留めていた「受験が終わったらやりたいこと」のフォルダには、やまだくんに関することがこれでもかといっぱいある。
29歳のやまだくんを見つめるわたしが、
恋にめらめら燃えているのか、
おだやかにゆるやかにすきをかみしめているのか、
それとも、日々に忙殺されてすきのきもちをこころの奥に押しやってしまっているのか。
それはわかりません。
だけど、いま、こうしてよいせよいせとだいすきのきもちを花束にまとめられていることがしあわせでしかたなくて、その事実だけでじゅうぶんなのです。
そして、願いはいつでもひとつだけ。
やまだくんのこの一年が、愛としあわせに溢れたものでありますように。
やまだくん、だいすき!
(この春新しい土地に向かう途中で一枚 つめにはお守りの色!)
ひとりぼっちとか言わないよ
やまだくん、
お誕生日おめでとうございます!
(しあわせが重なってゆきますように…というおせち的発想のストロベリーミルフィーユ🍓)
寝る時間をいかにつくってゆくかを目下の課題としているいま、さすがにブログは書けないよなぁ…と、5月のカレンダーを眺めながら実はがまんしていたのです。
でも、いざきょうという日を迎えてみたら、やっぱりどうしてもいまのきもちをきちんと言葉にしたくなって、ひさしぶりにはてなブログにログインしました。
ブログもおてがみも、何度も何度も繰り返し書き直して言葉を紡ぐタイプなのですが、そういうわけで、今回は書き初めのように一発書きで勝負してみます。
硯にたっぷりの墨を用意して、背筋をぴんと伸ばして、気合はじゅうぶんです。一画一画、丁寧に書いてゆくよ。
きのうまでの1年はさまざまな点において、これまでとは大きく異なった1年でした。
そんな中、嬉しそうな笑顔で届けてくれたポッピンドリーム(祝再販!)とスペシャルバラエティーボックス。
ひたむきさがめいっぱい詰まった an・an。
責任と期待がかかった重要な役割を担って発信してくれた、「続けよう、僕らにできることを。」
へとへとの金曜日を優しく包んでくれた神崎さん。
白い光の中に響くあまい歌声が、夢みたいに綺麗だったシンデレラガール。
本気の目にすぱっと射抜かれた狼青年。
こだわりがたっぷり詰まった Fab! -Music speaks.- 。
さいごに口パクで伝えてくれた「(頑張ろう!)」のメッセージが忘れられない紅白歌合戦。
ぼうぜんとしてしまうくらいにだいすきのきもちが溢れた「絶対のレッド」。
胸元のちょうちょ結びにばきゅんとやられてしまった レモラのCM。
ピンクの髪色に込められた温かな愛がたまらなく嬉しかった配信コンサート。
全方位完全無欠男ぶりを手加減なく見せつけられたジャにのチャンネル。
こうして思い返してみると、ことしも数えきれないほどたくさんの素敵な宝物を贈ってくれたのだとあらためて実感します。
やまだくんが届けてくれる夢をてのひらに載せて、その重みを感じる。瞳に映して、耳で楽しんで、口にして味わって。
やまだくんのお仕事ひとつひとつが、遠く離れたわたしの元までしっかりと届いていました。
やっぱりいちばんに伝えたいのは、ありがとうのきもちです。
この1年間、守ってくれて、ありがとう。
やまだくんのおっしゃる通り、輝かしくて参っちゃいます。
うそみたいだけど、決してうそなんかじゃなくて。温度のある確かなしあわせを、たくさんもらいました。
個人的には、すこし遠くから自分のペースでやまだくんのことを追いかけるようになりました。
やまだくんのことをたくさん考えられる時間だったツイッターを、おやすみすることに決めました。(そしてたまに顔を出してはとことん騒いで帰っていくという暴挙……)
これがつらくなかったと言ったらうそになるけれど、なだらかにすきでいるのもそれはそれでわるくなかったのです。
クラスメイトがAPEXの話をしていたときや、勉強中にふと顔を上げて時計を見たら 5:09 と表示されていたときなど、生活の中でやまだくんのことを思い出すささいな瞬間により敏感になりました。
また、リアルタイムでやまだくんの姿を見られることに、さらにどきどきするようにもなりました。
だいすきなひとと同じ「今」を生きていることを実感すると、なぜだか胸がぎゅうっとなりました。会えない時間が長くなればなるほど。
あとは、この1年で、やまだくんを追いかけていなくても生きてはいけることがわかったんだ(これはべつに知らなくてもよかったのだけど)。
でも同時に、やまだくんの横顔を見つめている人生のほうが 1993509兆倍うつくしくて、豊かで、すこやかで、最高だということも実感しています。
マインドのベースがとんでもなくネガティブだから、ちいさなミスをずるずると引きずってしまったり、( 生きている意味とは…。)などと考えてしまったりすることが多々あるのだけど、でも、わたしはまだまだこの世界で見たいやまだくんの表情やいっしょにつくりたい景色、味わいたいきもちがたくさんあります。
そのおかげで、この世界でもうすこしがんばってみようと思えるのです。
また、これまでわたしはやまだくんのことを考える時間をたくさん持つことができていたからこそ、自分のことを受け入れられていたのだとわかりました。
「こうありたい」から程遠い、完璧じゃない自分をいつまで経っても認められなくて。
そういうきもちをいつにも増して強く感じているときは気づけばいつも、やまだくんのお顔を何日も見ていませんでした。
やまだくんの存在を感じると、わたしがわたしという輪郭の中に戻ってゆく感じがします。
そうするとふしぎなことに、深呼吸する余裕が生まれているのです。
僕たちを見ることで、ファンの方達が泣いたり、笑ったり、色々な感情を表現してくれた時に自分たちの存在意義を感じる。
ことしのカレンダーのインタビューでの言葉。
わたしもやまだくんのことを見て、泣いたり、笑ったり、簡単に言葉にできないきもちを感じたりするときに、「わたしは生きてる!!」というきもちでからだをいっぱいに満たすことができます。
元々冷たい性格であることに加えて、最近はとくに、すぱっと割り切ったりあきらめたりしないといけないことが多くあります。
そんな中で、わたしは他の誰でもない山田涼介さん ただひとりのことを、ありったけのきもちを携えて想い続けているのだなぁ…とあらためて思うと、自分にもかわいいところがあるんだなぁと、ちょっぴり愛おしく思えます。
なかなか自分のことを認められないけれど、自分じゃないだれかのことをここまで想えるのだという事実はわたしの誇りです。
わたしは、やまだくんのことを考えているときのわたしがいちばんすきです。
損得勘定とは遠くかけ離れた場所であなたを心から大切だと思えることや、わたしがどんなにだめだめでも変わらずそこでおだやかに笑っていてくれることが、こんなにも貴重でこころに良いことだったのだと気づきました。
それに、やまだくんの「今」を追いかけることはできなくても、やまだくんがそばにいてくれたから乗り越えられたことがたくさんありました。
部活動の大会の日の朝、Oh! my daring を聴きながら髪を結ったこと。
大きな会場で英語のプレゼンテーションをしたとき、ステージに立つやまだくんの姿を思い浮かべながら制服にピンマイクをつけたこと。
まだ誰もいない朝の図書館で スケジュール帳にしのばせたやまだくんのお写真を見て、ようしやるぞと気合いを入れたこと。
この1年のわたし自身のことを思い返してみても、変わらずやまだくんが近くにいてくれました。
テストで良い結果が出たとき、だれかに披露したいささやかな豆知識(魚の血液型はどれもぜんぶA型らしい、とか)を手に入れたとき、近所にできたパン屋さんのクロワッサンを頬張ったとき。
こころがやわらかくなった瞬間にやまだくんのお顔が頭の中にぽっと浮かぶことも、とびきりしあわせなのでした。
遠い遠い存在のはずなのに、
名前を呼べばすぐに振り向いてくれるような、
手を振ればほほえんで振り返してくれるような、
ぎゅっと手をつないで隣を歩いてくれるような、
そんなやまだくんがだいすきです。
何度言っても足りないけれど、ほんとうにありがとう!
年末に大掃除をしていたら、昔使っていたスマートフォンが出てきました。
ためしに充電してみたらちゃんと起動することができたのですが、その中にメモ帳のアプリが残っていました。そうしたら、「山田くんのことば」というフォルダがあったのです。
その中には、雑誌やラジオなどでやまだくんが伝えてきてくれたお守りみたいな言葉たちがたくさん並んでいました。
とつぜん心臓をてのひらで優しく包まれたような気がして。どきっとしたけれど、それを大きく上回る安心を感じました。
うまくいかないときや落ち込んでしまったとき、なんだかやる気が起きないとき、勝負のとき。わたしはそうやって心強いお守りを携えて歩いてきたんだな、と嬉しくなりました。
でも同時に、いつまでも頼ってばかりだなぁとも思いました。
わたしはやまだくんを「担当」しているわけなのだけど、これじゃあわたしがやまだくんに「担当」されているみたいです。
もっと自分の足で歩けるようになりたいと、差し伸べられた手を握るたびに思います。
だけど、と ここで逆接の言葉を打ちながら考えます。
やまだくんには、そんなときがないのかな。
なんだかんだ言ってけっきょくひとりぼっちだなぁ とか、いくら頑張ってもたちうちできないことってあるよなぁ とか、いったい何に向かってこんなに走ってるんだろう と、そんなきもちを抱えてなにかに縋りたくなる夜はないのかな。
ないといいな。
でも、人生最高!ってずうっと思い続けることはとてつもなくむずかしいことだから、やまだくんがさみしいときやかなしいときに救いとなる光が近くにちゃんとありますように、と願っています。
カインとアベル の優くんのセリフの中に、
「俺知らなかったよ。きのうと変わらないってことが、こんなにも安らぐことなんだって」
という言葉があります。
変わることはわるいことではまったくないけれど、絶えず動いていく毎日につかれてしまったり、あまりの忙しさにこころがすり減ってしまったりしたときに、わたしの笑っちゃうくらいに揺るがないすきのきもちが、やまだくんのこころをすこしでもまあるくできたらいいのにな、と思います。
わたしが頼ってばかりじゃなくて、お互いにそうやっていられたら、どんなにいいだろうと思います。
やまだくんがくれるしあわせをわたしがお守りにしているみたいに、やまだくんが自分に向けられた「すき」をお守りにしていてくれたらいいなと思います。
やまだくん、いつでもわたしはここにいるよ。いつでもだいすきだよ。
やまだくんのきもちは、やまだくんの「今日」は、絵本の中のお話ではなくて。頑張れることも、当たり前のことじゃない。
とびきり綺麗な夢を見せてくれるものだから忘れてしまいそうになるけれど、やまだくんもいまこの島のどこかで戦っているんだよね。
やまだくんの頑張りを、踏ん張りを、美談みたいに消費するのではなくて、自分の中にちゃんと取り込んで、確かに循環させてゆきたいです。
がんばれた日も、そうとは言えない日も、きっとどちらも大切な1日なのだと思います。
がんばれた日も、そうとは言えない日も、どんなときだってやまだくんはわたしの一等賞です。
晴れの日も、くもりの日も、雨の日も、わたしはやまだくんのことがだいすきです。
わたしのすきなひとは、ほんとうにほんとうに素敵なひとです。
5月9日。
目まぐるしく変わっていく環境の中で、この日を目印のようにして 胸の中の変わらないきもちをあらためて抱きしめられることを、心から嬉しく、しあわせに思います。
ストイックできらきらとした部分が広く知られているけれど、やまだくんはまっすぐな優しさを根っこに携えている、透明でやわらかいひとだなぁと思っています。
だから、木々が緑に輝いて、お花たちが優しく芽吹く季節に生まれたということがとってもやまだくんらしいなと感じて、5月と握手をしたいきぶんです。
27歳のやまだくんへ、
1年間わたしのすきの宛先でいてくれてありがとう。
いまこの瞬間をこの島のどこかで生きている28歳のやまだくんへ、
出会ったばかりですが、わたしはあなたのことがだいすきです。これから1年、どうぞよろしくおねがいします!
やまだくんを見ていて、いとおしいなぁ、かわいいなぁ と思うことはたくさんあるけれど、でも、ほんとうは手なんて届きそうもないくらいはるかにずっとずっとずっと大人なひとだってことも、ちゃんとわかってるよ。
だからわたしは、くらくら目眩がしちゃうほどに大きな背中を追いかけて、全速力で走ります。
やまだくんの知らないところで、やまだくんに力をもらいながら、走ります。
だからやまだくんも、わたしが知りうるところだけでなく、知らないところでもとびっきりしあわせでいてください。
やまだくん自身が目標を定めるのがすきではないみたいだから わたしがなにか具体的に書くことはしないけれど、
やりたいことをめいっぱいやって、とびきりの愛に囲まれて、心からたくさん笑えるような、そんな素敵な一年になることを心から願っています。
(ゲームもたのしんでほしいけど、ときどきはぐっすりたっぷり眠ってください。)
K2の撮影現場でのやまだくんのように、
「月が綺麗だな、明日晴れると良いですね」と、言えるわたしでいたいです。
ひとりの帰り道でこそ、泣いてしまいそうなときにこそ、空を見上げて、そう思ってみることにします。
だから、おこがましいけれど、きょうからはじまる新しい日々を わたしもいっしょに頑張ります、と言わせてください。
わたしが見上げる空は、やまだくんの空とつながっているから、きっとだいじょうぶだよね。
“ ひとりぼっちとか言わないよ、僕の愛はここにあるよ ”
愛のまんなか
“あしたのやまだくんはどんな顔を見せてくれるんだろう”
“あしたのやまだくんがとびきりしあわせだといいな”
そんなことを思いながら眠りにつくことを繰り返していたら、気がつくときょうになっていました。
5月9日。
山田涼介くん、お誕生日おめでとうございます!
今年もまた、生まれてきてくれてありがとうと言えること、とっても嬉しいです。
おてがみやブログを書くたびに、すき というきもちは感情の中でもいちばん言葉にするのが難しいのではないかと思ってしまうのですが、言葉にしないと溢れてこぼれていってしまうから、いまのきもちを丁寧に紡いでいこうと思います。
やまだくんにとってこの1年は、どんなものになったのかな。
今年は本当に怒涛の1年で、“マジでよく働いたな”って自分を褒めてあげたいくらい。
ひとつひとつのお仕事を通してやまだくんが感じたことを、ブログや雑誌などを通して知ることができて、わたしはとってもしあわせでした。
あらゆるお仕事に真正面から真剣に挑んでいるということがひしひしと伝わってきて、知れば知るほど、やまだくんへのすきが大きくなっていきました。
目まぐるしい毎日を駆け抜けていく中で、やまだくんはたくさんのことを感じて、考えているのだと、あらためて知りました。
同時に、わたしなりにも、さまざまなことに思いを巡らせた1年でもありました。
自分に嘘をついて生きていくことが正解になることもあると考えていること。
何をどう感じているかは包み隠さず話したいと言ってくれるところ。
立ち止まっていてはダメな立場にあると思っていること。
求められれば応えたくなると繰り返し言い切るところ。
未来に関することを公にしたがらないこと。
自分はどこか壊れていると思っているところ。でもそうでないと前に進めないのだと断言するところ。
ぜんぶぜんぶ、大切にしたいやまだくんのきもちです。
すこし前までは、やまだくんが思っていること、考えていること、ぜんぶ知りたかった。教えてほしかった。
でも、いまはちがう。
悩んでいること、悲しかったこと、くやしかったこと、抱えているもの、そんなことがすべて混ざり合っていまのやまだくんがいるのだから。
それらをぜんぶ知ることはできなくても、いま目の前で笑ってくれているやまだくんをめいっぱい全力で愛していたいな、と考えるようになりました。
やまだくんを「自担」と呼ぶようになってからずいぶん経ったけれど、わからないことはまだまだたくさんある。だけどそれくらいがちょうどいいなって。
やまだくんのことを、いまよりわかったりわからなくなったりしながら、もっともっとすきになっていきたいです。
そして、やまだくんが「伝えたい」と思って伝えてくれる言葉をまっすぐに受け取っていたい。
やまだくんの言葉たちは、やまだくんが考えて、明確な意思を持って発信してくれたものだということを忘れずにいたい。
誰がなんと言おうと、わたしがいちばんに信じるのはだいすきなやまだくんの声で、いちばんに守りたいのはだいすきなやまだくんの笑顔です。
アイドルでいることに真摯なやまだくん。
そんなやまだくんのファンであることを、わたしは心から誇りに思っています。
「アイドルも正直、すごく“演じている”んです」
わたしがすきになったやまだくんは、ほんとうのやまだくんとは違うのかもしれない。
だけど、それで良いのだと思わせてくれるほど、アイドル 山田涼介は誠実なひとです。
わたしにとっては、やまだくんが見せてくれる「山田涼介」がすべてで、
やまだくんがファンに見せたいと思って見せてくれる世界を心から愛しています。
(でもね、やまだくんが意図していないところでぽろっとこぼれるかわいさもかっこよさもわたしは知ってるよ、そんな無自覚の魅力もわたしはだいすきなんだよ、なんて、ちいさな声で添えておきます。)
ふわふわのパンケーキを口にしたときのような、とろけるしあわせ。
少女漫画を読んでいるときのようなときめき。
綺麗な景色を前にしたときのような、絶対に届かない距離とその存在の大きさを眩しく思うきもち。
話したことのない先輩の横顔を見つめるように、その笑顔を、声を、ひとりじめできたらと思うときの切なさ。
「すき」とまとめてしまったらそれまでなのだけど、やまだくんがくれるきもちにはたくさんの種類がある。
もう、『娯楽』とは呼べないほどやまだくんをすきでいることにさまざまなものを懸けていて、
やまだくんの存在が、こころのいちばん大きなところを占めている。
だからこそ悩んだりくるしくなってしまったりすることもあるのだけど、
結局あとになってみると、そうしていたことすらしあわせと呼べて(これはやまだくんのおかげ)、
やっぱりすきになってほんとうに良かったなぁと思うのです。
さまざまな方向から、さまざまなタイミングで差し伸べられる手の中で、やまだくんの手を握り続ける日々。
どんなときもやまだくんがいちばんにいる毎日は、わたしにとって、なににも変えがたいものです。(…正確に言うと、選ぶ余地もなくやまだくんに夢中なのです。)
やまだくんがくれる優しさにぼろぼろ泣いたり、
もう何億回も見ているはずのお顔に新鮮なきもちでときめいたり、
更新されたブログを読んで携帯を抱きしめたり、
木曜日の夜、だいすきな甘い声を聞きながらベットの上で悶えたり、
寝ぼけ眼で携帯を開くと大きなお仕事が決まっていて朝から小躍りしたり。
やまだくんがそばにいてくれる毎日が、しあわせでたまらなくて。
やまだくんのくれる毎日は、わたしのたからものです。
この1年は、わたしを取り巻く環境が大きく変わって。
毎日が目まぐるしくて、つらいと感じることも増えて。
やまだくんのしあわせはわたしのしあわせであることは紛れもない事実なのだけど、わたしがしあわせになるためにはわたし自身の努力が不可欠なのだなぁと、痛いほどに実感した1年でもありました。
当たり前だけど、やまだくんのことだけを考えているだけでは生きていられなくて、すこし離れてしまうこともありました。
ハードなスケジュールの中で研修や課題、テストや試験に追われていたあるとき、「やりたくないとかできないとかじゃなくて、やるしかないんだよね」と言ったわたしに、ともだちが「やまだくんの血を引いてるね」という言葉をかけてくれました。
もちろんわたしの「大変」がやまだくんの足元にも及ばないのはわかっているけれど、その言葉がとってもとっても嬉しかった。
そのとき、離れている、と思っていた時間も、きっとやまだくんがこころのお守りでいてくれたんだろうなぁと気づきました。
やまだくんはわたしに、日々を懸命に生きることのかっこよさを教えてくれた。
やまだくんは すぐに下を向いてしまうことが多かったわたしを、顔を上げて立ち上がれるひとにしてくれた。
……こう書くとわたしがとっても強いひとのようになってしまうのだけど、そんなことはまったくなくて、へこんでいることのほうが圧倒的に多いです。
だからこそ、やまだくんが「泣いてもいいんだよ」と優しく包み込んでくれるような存在でいてくれることも、わたしにとってほんとうに大きいんだ。
やまだくんを見ると、その声を聞くと、こころがゆっくりほどけていく。やまだくんが愛に溢れた優しくて温かいひとだから、わたしは泣きたいときに泣くことだってできます。
生きているとたのしいことばかりじゃなくて、いますぐにでもこの状況から逃げ出したいと思うことがときどきあるけれど、すきなことや大切にしたいものがあると、眠ろうと目を閉じたときや朝起きたときのきもちがすこし前向きになる。
優しくない現実が変わるわけじゃないけれど、そのことにもものすごく救われています。
踏んばらなきゃいけないときに思い浮かぶのはいつだってやまだくんで、自分のこころのまんなかにやまだくんがいるという事実が優しい安心をくれる。きゅっと気を引き締めてくれる。
いつもありがとう。
必死に年号を覚えていたきのうと、だいすきなひとたちにひさしぶりに会えたきょうと、また自転車でいつもの坂を上って学校に向かうあしたが、きちんとつながっているということ。
とびきりの特別がわたしの日常の中にちゃんと存在していること。
この事実も、わたしのおおきな支えになっています。
やまだくんがしあわせなときにいっしょにしあわせでいたいから、そのためにも、毎日を頑張らなくてはいけないなと思います。
これは、27歳のやまだくんを応援するわたし自身の決意表明!
きょうも相変わらず、わたしはやまだくんのことがだいすきです。
やまだくんのことを考えていると、蒸発して消えてしまいそうになることがあります。
なぜだかわからないけれど、ときどき無性に泣きたくなる。すきすぎて。
ほんとうに、ほんとうに、すきですきでたまらなくて。
もし一生の中で持てるすきのきもちの量が決まっているのだとしたら、今の時点でその大半を使っているような気がしているくらいです。
それゆえ、
このきもちはこれからどう変わっていくんだろう、
未来のわたしはこのきもちをだれに向けているんだろう、
と胸がざわざわしてしまうことがあります。
でも。
「ずっと」は不確かでぐらぐらしているけれど、やまだくんのしあわせを願う日々を静かに丁寧に積み重ねてふと後ろを振り返ったとき、そこに「ずっと」が存在していたらいいなぁと思っています。
わたしはやまだくんの、
「僕の道はここしかないという確信がある」
という言葉を、すこしもためらうことなく信じ切っている。
アイドルとしてステージに立つときは「僕の土俵」だと思うやまだくん。
ステージに立っているやまだくんは誰も真似できないオーラを放っていて、その横顔を見ていると、知らず知らずのうちにペンライトをぎゅっと握っているんだよ。
なんだか、やまだくんは永遠にアイドルで、かぎりなくわたしの前で笑っていてくれる気がしてしまうんだ。
だけど、その予感が正解か否かというのはそれほど問題ではなくて。
わたしが言いたいのは、やまだくんはそんな大きな未来さえも信じさせてくれるようなアイドルなのだということです。
軽やかに、だけど大事なことを誓うような重みのある感覚で、いっしょに笑っている未来を信じられる。
わたしが思い描いている未来に、当たり前のようにやまだくんも存在していることが、とびきりしあわせなことだなぁと思います。
ずっともぜったいもないこの世界で、そう思わせてくれて、ありがとう。
若いうちは好きでいてくれても、大人になって守るものができたときに、僕の存在は薄れていくことがあるわけですよ。
でもたとえば娘さんが成長したときに『山田くんっていうアイドルがいてね』みたいな感じで思い出話に僕が出てきたら、それはうれしいです。
やまだくんから離れてしまうときが来たとしても、いま、わたしがやまだくんのことがだいすきで、そのことに救われて、泣いたり笑ったりしながらしあわせな日々を送っている事実は変わらない。
続いても続かなくても、この毎日がたからものだということは、わたしがいちばんわかっている。
続いても続かなくても、きょう、5月9日は、わたしにとって一生特別な日だ。
きっと毎年、この日を迎えるたびに、わたしはやまだくんのことを想うのだろうと思います。
だいすきが高まるとひとは泣いてしまうのだということも、
しあわせに包み込まれたときの言葉にできないあの感覚も、
わたしにはじめて教えてくれたのは他の誰でもないやまだくんです。
これも、一生変わらない事実。
どんな未来が待っていたとしても、未来のわたしが、
いまのわたしを、やまだくんを、ぎゅうっと抱きしめられていたらいいなぁ。
ここまですきになることは不可抗力だったように思うけれど、
ファンクラブの「好きなアーティスト」の欄に「山田涼介」と書いたあの日も、
どきどきしながらはじめて買ったCDも、
会いに行く予定ができるたびに爪に丁寧に塗る赤色も、
一言では片付けられないほどに育ったこのきもちも、
いまこのブログを書いていることも、
すべてわたしが自分の意思で選択したことです。
いまやまだくんがアイドルでいることと、いまわたしがやまだ担でいること。
それは、それぞれの選択が積み重なって作り上げられた、たいせつな「いま」なんだなぁと、噛みしめるように思います。
やまだくんは、愛のひとです。
セミオのように一生をかけて幸せにしたいと思える人に出会いたい気持ちは、みんなあるんじゃないかな。僕の場合はファンの人がそう。雑誌やテレビに出させてもらうことで誰かが幸せになってくれるのはすごいことだし、仕事をするうえで重きを置いているところです。
やまだくんがわたしたちへ贈ってくれる愛は、あまりにも温かくて、まっすぐで。
わたしはなんてしあわせものなんだろうと、胸がいっぱいになります。
一度目が合ったら目を逸らせなくなるような、どこにいたってそこがまんなかになるような、やまだくんのパフォーマンスがすきです。
見せたいもの、やりたいことがたくさんあるのだと教えてくれるときの、エネルギーに満ち溢れたやまだくんの笑顔と言葉がだいすきです。
26歳のやまだくんを見つめながら、このひとをすきになってよかったと何度も何度も思った。
いっしょにお仕事をしたJr.のみんなや俳優さん、監督の方からやまだくんについてのお話を聞いて、間違いのないひとをすきになったのだと何度も何度も思った。
「30代に向けてもっともっと知らない自分を知っていきたい」という言葉を聞いて、その飽くなき探求心を誇らしく感じ、そんなやまだくんの背中を追いかけていたいと何度も何度も思った。
26歳のやまだくんが幾度となく見せてくれた 優しくて頼もしいお顔が、わたしの目に焼き付いている。
パレードが始まる で、「次は僕に任せてよ」と歌いながら自分のほっぺを人差し指でぽんぽんとするやまだくんが、
まるで「ぜったいにしあわせにするから」と言っているようでたまらなかった。
このひとについていったらわたしはかならずしあわせになれる(もうすでにしあわせだけど!)と確信した。
こうして積み上げられた、信頼に近い愛が、決して揺らぐことなくわたしのこころの中で光っている。
26歳のやまだくんにも、これでもかというくらい大切にしてもらいました。守ってもらいました。とびきりたくさんの愛をもらいました。
ほんとうに、ほんとうに、ありがとう。
やまだくんのことを「一緒にいればいるほど、知れば知るほど、好きになる」とお話してくださった、記憶屋の石塚プロデューサー。
パレードが始まる で、王子様の衣装に身を包んで「I Love You」と歌い上げるやまだくん。
「ひとりぽっちの夜」と歌うやまだくんの周りに、優しいお顔でぎゅっと集まるじゃんぷのみんな。
Oh! my daringを歌うやまだくんの目に映る、赤いペンライトの海。
愛が循環していく空間。
そのまんなかにいるやまだくんを見ているのがしあわせでしかたなくて、27歳のやまだくんにも変わらずそこにいてほしいな、と祈るように思います。
愛にくるまったやまだくんの、
愛のまんなかにいるやまだくんの、
わたしのだいすきなあまいまんまるのほほえみが、今年もたくさん見られますように。
やまだくんのきょうが、あしたが、その先が、やわらかな愛で溢れていますように。
ありったけの愛を込めて。
タイムカプセル
もみ消して冬 2019夏、セミオトコ とドラマの撮影が続き、
記憶屋 あなたを忘れない が1月17日に公開され、
燃えよ剣 の公開を控えていたやまだくんに、
さらに、大怪獣のあとしまつ という新しい演技のお仕事が決まりました。
(おめでとうございます!🎉嬉しいお知らせをたくさんありがとう!🎊)
🔗moeyoken-movie.com
www.daikaijyu-atoshimatsu.jp
というわけで。
個人的な将来の夢は? ―俳優の仕事でずっと活躍できていること。
という俳優 山田涼介の輝かしい未来を祈るきもちに、
より多くの方にやまだくんの出演作に触れてもらいたい、ほんのすこしでもそのための力になれたら、という淡い期待を添えて、きょうは言葉を綴ることにします。
映画の公開日が迫ってくると「3日後か、2日後か、1日後か、ってどきどきする」。
映画やドラマのクランクイン当日は今でも緊張するけれど、そんな感覚がきらいじゃない。
こんなふうに、やまだくんの素直なきもちを教えてもらったとき、わたしはとってもしあわせなきもちになります。
わたしも公開日や放送日が近づくにつれて浮き足立つきもちを抑えられなくなるし、そんなそわそわうきうきした感覚がいとおしいなぁと思っているから、やまだくんも似たきもちでいるのかなぁとなんだか嬉しくなる。
やまだくんもいっしょなんだ、とふくふくしたきもちになる。
テレビの前に正座して放送を待っている時間にも、
いつもよりすこしおめかしして背すじを伸ばして映画館の席に座るときにも、
慣れることのない胸の高鳴りを感じます。
それに、そんなやまだくんの言葉を聞くたびに、何度経験しても映画やドラマの撮影は特別なものなのだとわかります。
だから、作品を享受する側のわたしも、それらを特別なものとして たいせつに受け取っていたいなぁとあらためて思うのです。
人気アイドルでありながら、そこに驕ることも気取ることもなく、現場ではチームの一員に徹していて、スタッフが彼を「山ちゃん」と親しみを込めて呼んでいたのも、同志としてもプロとしても認めて敬っていたからだろう。
そう言われてみると、じゃんぷの「絶対的エース」なのに、やまだくんのことを「やまちゃん」と呼ぶファンは少なくありません。
あんなにもうつくしくてかっこいいのに、みんな「かわいいなぁ」「アライグマだね」と口を揃えてとろけているし、それでもやっぱりやまだくんは、ファンだけでなく同業者のみなさんやスタッフの方から一目置かれている存在です。
(……すこし脱線してしまいましたが、)
もちろん撮影現場での顔とわたしたちに見せてくれる顔は違うと思うけれど、根っこの部分はやはり同じなんだなぁと思います。わたしは、やまだくんのそういうところがだいすきです。
毎回毎回、役によって現場の雰囲気やスタッフさんとの距離感を考えてスタンスを変えているというやまだくん。
記憶屋 で共演した蓮佛さんが
「真面目で作品をとにかくいいものにしようと周りの人を巻き込んで作ろうとする方です」
とおっしゃっていたように、そのひたむきさは確実に周囲の方たちに伝わっています。
与えられたこと、求められていることをこなすだけではなく、自分で深く考え、そしてそれを行動に移すことができるやまだくんを、心から尊敬しています。
すごいなぁ…、どこまでもすごいひと。
決して妥協することなく、作品のためにならなんだって、自分の身を削ってでも行動することができるひと。
まっすぐで芯の強い 俳優 山田涼介の横顔は、とっても強くて、かっこいいのです。
私はこれまで、山田くんはアイドルである自分と俳優である自分のバランスに悩んだことがあるのではないかと思っていました。
周りから色眼鏡で見られることもあっただろうし、決して弱みを他人に見せない人柄の山田くんは、それを自分の中だけで消化することもあっただろうと想像します。
でもこの作品を通して、現場での佇まい、そして、完成作を見て、それは杞憂に終わりました。
山田くん、あなたは俳優として堂々とスクリーンに存在しています。
ナミヤ雑貨店の奇蹟 の初日舞台挨拶で西田さんから手紙をいただき、なんでこんなに分かるんだろう、とつぶやくように言って涙をこぼしたやまだくん。
「俳優のお仕事を頑張りたい」と言い切れるようになるまでに、どれほど悩み、苦しんできたのだろうと、ひとりで想像してしまいます。
それでも、そんな葛藤を感じさせずに、観ている人たちにどきどきはらはらの魔法をかけ、涙を誘ったりときめかせたりさせてきた山田涼介は、紛れもなくひとりの「俳優」です。
だからこそ、
「私とあなたは同じ俳優として同じ土俵に立っていると思っています。」
「私も負けないように頑張らないといけません。」
日本映画界を代表する俳優さんからこんな言葉をかけてもらったやまだくんを見て、わたしまで誇らしく、嬉しくなりました。(あのとき、やまだくんより先に泣いてしまってごめんね。)
今後、あなたがもっともっと俳優として大きくなることを心から願っています。
大丈夫、あなたの未来は明るい。
西田さんのこの言葉に、わたしは何度も何度も頷きました。
そして、5月22日に公開を控えている 燃えよ剣。
目の前に広がる大きなスクリーンで、そうそうたる方々のお名前と共に「山田涼介」の文字が並んだエンドロールが見られるのだと思うと、もうすでに胸がいっぱいになってしまいます。
(映画館に持っていくにはハンカチじゃ足りない、大きめのバスタオルを持っていかないといけないかもしれないなぁ…。)
やまだくんは撮影中、ブログや雑誌で「頑張ります」という言葉を繰り返していました。
撮影前の意気込みも、撮影中の感想も、ひとつひとつが俳優としての決意表明に聞こえて、強く強く印象に残っています。
毎日刀振りをして、自分の役である沖田総司の生い立ちを勉強して、お墓参りをして。
「なぜ自分が選ばれたのか」を考えながら原作を2週間かけて読み、沖田総司に対してイメージを作っていったというやまだくん。
どんどん痩せていくやまだくんを勝手に心配してしまったこともあったけれど、いいぞ!いいぞ〜!と後ろから見守っていることがわたしのいちばんの役目だと言い聞かせて、静かに応援していました。
胸をぎゅうっと締め付けられながらも、あらためてすきを実感していました。
そんなやまだくんを見ていて、今日の日はさようなら のときも、出演を知らされたのがクランクインの3日前という信じられない状況にもかかわらず、「すこしでも役のイメージに近づきたい」と収録が始まるまでなにも食べずに過ごしていたことを思い出しました。
どこまでも演じることに真摯なやまだくんは、言葉では言い尽くせないのが悔しいほどにかっこいい。
全然自信ないんですよね。納得することはないです。現場で一生懸命考えて演じても、放送を見るたびに反省点が見つかります。
納得したら終わりだし、自分の基準を高くして、自分に甘えないように心掛けています。
わたしは演技に詳しくないので知ったようなことを言えるわけではないけれど、このきもちが変わらず根底にあるやまだくんは、見たことのない景色をこれからも見続けていくのだと思います。「最高の景色」を更新し続けていくのだと思います。
それに、「自信はない」と言っても、鋼の錬金術師 が公開されるときのインタビューでやまだくんはこう口にしていました。
今最高のプレッシャーの中にいる。ただ、見ないで文句を言われるのは納得いかない。何よりもまず、見てほしい。
どこか自らを奮い立たせるようなやまだくんの言葉。
とんでもないひとをすきになったなぁと、泣きそうなきもちで思いました。
主演という立場であったということもあり、この言葉はとても大きな意味を持っていたのではないかと思います。
これはただの強い言葉たちではなく、やまだくんをはじめすべての方々が一丸となって全力で良いものを作り上げようと尽力したことの証明のように思えます。そうでないと、こんなことは言えない。
様々な意見を主演俳優として背負い、
作品を、携わった多くの方々を、大切に思う座長のまっすぐな思いが感じられました。
作品に対してここまで強く責任感を持ち、熱い思いで向き合っているやまだくんだからこそ、途切れることなく大きな演技のお仕事を掴むことができているのだと思います。
かっこよくて、泥臭くて、大きくて、眩しい。
わたしは、後ろで手を組むいつもの立ち方で堂々としている姿や、すっきりとしたお顔で穏やかに笑いながらインタビューに答える姿を、完成した映画の試写会やイベントなどで見るのがすきです。
ひとつの大仕事を果たし終えた後のそんな姿を見るたびに、やまだくんがまた新たな階段を上ったように感じられてしかたありません。
第39回日本アカデミー賞の授賞式。
新人俳優賞を受賞したやまだくんは、岡田くんと二宮くんといっしょに壇上に上がったときにかけられた「おめでとう」の言葉が、人生でいちばん嬉しかったそうです。
最優秀主演男優賞に輝いたことのあるおふたりの背中を追いかけて、「俺もいつかは同じ場所に立ちたい」と口にするやまだくん。
俳優 山田涼介の歩む道が、素敵なものであることを願わずにはいられないよ。
そんなやまだくんの後ろ姿、一瞬たりとも見逃せない。見逃したくない!
これは、やまだ担としてのタイムカプセル。
ずっと変わらない「山田涼介らしさ」も、
これから作り上げていく、変わり続ける「山田涼介らしさ」も、
どちらもわたしにとってすきのかけらです。
自らの努力と成果によって次の大きなお仕事を掴んでいくやまだくんを見ていると、あまりのかっこよさにひれ伏してしまうんだ。
自分のだいすきなひとが、たくさんの方々に「このひとになら任せられる」と思われているのだと想像すると、嬉しくてびりびり痺れてしまいます。
数年後この文章を読んだわたしは、どんなきもちでいるのかなぁ…。
とびきりのわくわくを やまだくんがだいすきなきもちで包んで、このブログをていねいにしまっておくことにします。
2020.3.5
贈り物の包み紙をひらくように
すきなひとが書く文章というのは、どうしてこんなにもわたしをどきどきさせるのだろう、と思います。
こころの柔らかいところにすうっと触れられるような、そんなここちよい胸のざわめきと、ときめきがあります。
声を聴いているわけでも、お顔を見ているわけでもないのに、なぜだかいつもより距離が縮まっているような気がして。
Johnny's webのブログというのは、身近だけど、とっても特別感のあるコンテンツだなぁと思うのです。
というわけで。
きょうはじゃんぷのみんなが書く文章について、すきを数えていきたいなぁと思います。🌷
よかったらお付き合いください!
まずはやぶくん。
改行をたくさんして、行間を空けるのがやぶぺのひとつの特徴です。オフ感が出ていて、のんびりとしている感じ。
誰かひとりではなく、ファンみんなに話しかけているような感じにはアイドル感をびしばし感じるのですが、全体に漂うゆっくりとした時間の流れがとてもリア恋。うん、恋ですなぁ。
そんな空気感の中で、突然ぽんっと詩的な表現が出てくるのがとってもすきです。そうやってさらっと素敵な表現をするのがかっこいいし、あぁ、やぶくんの文章だなぁ とあらためて実感します。
あと、最後にとどめのリア恋爆弾をかましていく傾向があります。(ゆい調べ)
早く会いたい、とか、1日ファイト、とか。これは無意識なのか、確信犯なのか…。
次にゆうやにぃ。
もし名前を隠されている状態で読んでも、ぜったいに「ゆやぺだ!」とわかる!
毎日を楽しく生きるためのエネルギーが詰まっているような文章です。きらきら、にこにこな絵文字がとってもかわいい。♡
個人的には、ゆやぺの書き出しがひそかな楽しみです。毎回「そうきたか!」となる!(笑)
最近こんなことをしたよ〜!って、楽しい出来事をその温度を保ったまま真空パックしたみたいに共有してくれるところがすきです。
質問企画も、飾らない回答が素敵だったなぁ。文章からゆうやにぃのまぶしさが伝わってくるものだから、目眩がするほどだった!読み終わったあとに、「ははぁ〜〜(ひれ伏す)」ってなるのがお決まりだったなぁ…!
等身大の文章なのに、やっぱりかっこよさが溢れ出ちゃうところがさすがです。Sounds Good✨
続きましてちねんくん。
ちねんくんは、規則的に改行しながら書いていくタイプ。すうっと読めて、きもちがいいです。
また、素敵なお写真を添えてくれるなぁと思います。自分のお写真もそうだし、ツアー期間中のいのおくんのお写真にはどれほどのひとが倒れていったことか………。
一般のひとは見ない、「ブログ」という空間のレア感を大切にしてくれているように感じます。「楽しんで読んでほしい」というきもちが伝わってくる。
読んでいるわたしたちのことをすごく考えてくれる、ちねんくんのまじめさがすきです。一定の距離感が心地良い。
だけど、ときどき言葉の端々がくだけるのがたまらんです。「〜してくださいな」とか、文末の「笑」とか、そういう細かなところにきゅんときてしまいます。
ちねんくん、「またね」で締めるのはとてもずるいです。ずるすぎます。くうっ……。
お次はありおかくん。
個人的にとってもすきな文章です。
とっても正しくてきちんとしている文章なのに、伝わってくる空気がやわらかくて明るい。ありおかくんの唯一無二の才能です。
「夢ややりたかった仕事がかなうと、みんなに「決まったよ」「かなったよ!」って早く報告したくなるの。直接1人1人に伝えられないのがもどかしいけど、思いを共有していたいなっていうのは、いつも思っていること。」
10周年のときにコンサートのパンフレットで話してくれたありおかくんの言葉がとても印象に残っているのだけど、ありぺを読んでいてもそのことがよく伝わってきます。ありぺに散りばめられたたくさんの「!」には、とびきりのしあわせが詰まっているような感じがします。
Tarzanのときも、はじめてそのお話を聞いたときから撮影までの出来事を細かく教えてくれて、嬉しさが何倍にもなったことを覚えているよ〜!
そしてやっぱり、読んでいてとっても元気が出る。ありおかくんがくれるパワーは、「頑張って笑おう!」と思うようなものではなくて、「気づいたら笑ってる」みたいな。魔法使いだなぁとつくづく思います。
そしていのおくん。
予測不可能すぎてよくわからない。考えれば考えるほどよくわからない。
なにを言っても肩を揺らしながら笑われてしまいそうでこまっています…。わたしに彼の思考を言語化するのは622億年早いような気がするのですが、すこしがんばってみます。
枠にはまった形では更新しないところが、どこまでも伊野尾慧だなぁと思います。
普通のひとの「予想外」が「ななめ上」だとしたら、いのおくんが生み出す「予想外」はもう2次元にも3次元にも存在していない、みたいな。新しい次元をするする〜っと切り開いていくところがすきです。
いのぺといえば伝説の毎日更新。返信機能がついたときは目が飛び出るかと…。
謎解きのクオリティも高くて。何よりクライマックスに向かう展開の臨場感がものすごくて、ほんとうにこわかった…!
あのころは毎日いのぺに心を揺さぶられていたなぁ…。いのぺの更新が1日のたのしみだった!
今こうして考えてみると、毎日更新に限らず、いのぺひとつの話題性がとっても高いことに気づきます。
ちねんくんといちゃいちゃしているお写真や、オタクにマウントを張るかのような(笑)楽屋前でのお写真、おそらくそうめんに向けてであろう恋文など。テキストは1文くらいの更新のときでも、その日の話題をぜんぶかっさらっていくようなところがあるのです!
こちらのリアクションすべてが彼の手の内にあるのもわるくないので(むしろ大歓迎)、いのぺはよくわからないまま たのしんでいようと思います!!
次にけいとくん。
何回も読み直して、手直しを加えてから更新してくれているのだろうなぁと思います。
時間をかけて書いてくれていることが伝わってくるから、わたしも丁寧に読み進めていきたいと思うのです。
読んでいるひとに寄り添ってくれる文章。読んでいるうちに、自分のこころがまあるくなっていくような感じがします。けいとくんの特別なパワーだね!
けいとくんのブログは 語尾に「…」が多いイメージがあったのだけど、けとぴで書いてくれた「26歳の抱負」の中にはそれがひとつもなくて。このひとつひとつの句点の中に、けいとくんの強くて固い決意が込められているんじゃないかなと感じました。
10周年のときの9月24日や メンバーのお誕生日に、愛に溢れたブログを更新してくれたこともはっきりと覚えているよ。けいとくんが言葉を紡いでいくことで、たくさんのひとのこころがじんわりとあたたかくなるんだ。
けいとくんの人柄が透けて見えるような、ありったけのまごころが詰まったけいとくんの言葉がだいすきです!
続きましてひかるくん。
ひかぺを読んでいると、なんだかひかるくんと会話しているような気分になります。
決して一方通行じゃない。それくらい、温度があってやわらかな文章だなぁと思います。
それに、なにか大きなできごとじゃなくても、ちいさな日常のひとこまを切り取って教えてくれるだけで、ファンはしあわせになるものです。ひかるくんが日々の生活の中で感じていることをおすそわけしてくれること、とっても嬉しいなぁと思います!
質問道場でも、そんなひかるくんの素敵さがひしひしと伝わってきたなぁ。
誠実なのに固くなりすぎない雰囲気のひかぺが、とってもすきです。
「今日はヒルナンデス(・Mステ・らじらーなどなど)で会えるねー!」と、ファンのたのしみをいっしょに共有してくれること、「会う」という表現をしてくれること、ひかるくんのあったかさだなぁと思います。
そして、大切なことをきちんと言葉にしてくれる。しかも、とびきりの優しさを添えて。言葉にすることを諦めないでいてくれることに、ありがとうとごめんなさいのきもちでいっぱいです。
きっと、ひかるくんがたくさん更新をしてくれているおかげで救われているひとがたくさんいると思います。もちろんわたしもそのひとりです。
いつもありがとう!やぽぺもたのしみにしています!🍎
お次はゆうとくん。
わかりやすくてきちんとしている文章。
漢字の使い分けや語句の意味を調べながら文章を打っていそうだなぁ、なんて勝手に思っています。
句読点をちゃんと打つまじめさが特徴。だけど文章がゆうとくんの声で再生されるから、背筋を伸ばさずにリラックスした気分で読むことができます!
穏やかな元気というか、落ち着いた明るさというか。そういうものが込められている、ゆとぺの空気感がとってもすきです。
また、感性と語彙力が豊かだなぁと感じます。
ゆうとくんから見える世界を自分もいっしょに目にしているようなきもちにさせてくれる、そんな言葉の使い手です。
使える言葉の幅がとっても広いゆうとくん、憧れです…!
そしてやっぱりお写真の話は必須です!
ゆうとくんが撮るお写真には言わずもがなセンスとラブが詰まっているし、ゆうとくんご本人も「映え」だから、無敵なのです!載せてくれるお写真もいつもたのしみにしています!📷
最後に、やまだくん。
(はじめにひとつおことわりを。惚れた弱み全開で書いていきます!)
まず、「JUMPaper」をクリックしてやまだくんの赤い窓が出てきただけで心臓が飛び跳ねます。この時点できょうはしあわせなきもちで目を閉じられることが確定!いつもほんとうにありがとう!
それではすきポイントひとつめ!
たくさんお写真を載せてくれるところがすき!
撮影先のホテルでゲームをしてるところ、コンサートの楽屋でトナカイさんの眼鏡をつけているところ、ゆうとくんとの自撮り…。
載せてくれなければ知らなかったであろう、撮影現場や楽屋の裏側を見せてくれるサービス精神がすきです。
あと、写真加工をきちんとしているところにJKのたましいをびしばし感じます!きょねんのハロウィンのときの金木くんのコスプレのお写真(モノクロ加工 プラス 赤だけ抽出加工)もすごかった…!さすがです!
それなのにフリック入力を知らないところがずるい。すきすぎます。
あと、なぜかわからないけれど小動物オーラが文章から溢れてる。とんでもなくかわいいのです…。読んでいると、知らず知らずのうちに顔がほころんでいます。(証拠画像)
てんてんてん(三点リーダと言うらしい)ひとつとっても、「…」と打つときと、「、、、」と打つときと、「。。。」と打つときがあって、その統一性の無さすらかわいいのだよ〜!ギャップに心臓がばくんばくんする…。
まだまだいきます、すきポイント!
お仕事をしていて感じたことをたくさん書いてくれるところ!
ひとつひとつのお仕事に全力で、真剣に挑んでいるのだということ、いろんなことを考えて向かっているのだということがひしひしと伝わってきます。
やまだくんの目まぐるしく忙しい毎日に わたしは勝手に心配してしまうけれど、充実しています、と教えてくれるやまぺに ものすごく救われています。
やまぺは、「ありがとう」で溢れてる。
意識して読んでいると、ほんとうにほんとうにたくさん、ありがとうを伝えてくれていることに気が付きます。
そうやって言葉にしてくれるところがとっても素敵。ついていく以外の選択肢がないよなぁと、あらためて実感します。
わたしも、思っているだけではなく言葉にすることを、忘れないでいようと思います。
そして、伝えたいと思ったことを、丁寧に、確実に、文章に込めてくれるところがすき。
なにかの節目のときも、そうでないときも。自分の思いをきちんと伝えてくれるところがだいすき。
絶対に嘘はつかない、だけど言葉の端々からさまざまなひとたちへのこころくばりが伝わってくる。
これは、わたしがやまだくんの言葉に全幅の信頼を置いているひとつの理由でもあります。
「アイドル」をすることに、とても真摯。
やまだくんが綴る文章からは、このことがよく感じられます。
この素敵さにぴったり合うような言葉を見つけるのはむずかしくて。強いて言うなら、「これぞ山田涼介!」。伝わるといいな…。
そもそも、それぞれがスマホに文章をぽちぽちしている様子を想像しただけでとっても愛おしくなります。
どんなときに、どんな場所で、どんなふうに打っているのかな。
コーヒーを飲みながら、とか、仕事の合間に楽屋で、とか…。
しあわせな空白、想像の余地。
そういうものを残してくれるのも、ブログの良さだなぁと思います。
時にじゃんぺでは、しっかり立ち止まって考えなくてはならないことを言葉にしてくれることもあります。
そんなとき、じゃんぷは、自分のきもちを大きなやさしさで包んで言葉にして伝えてくれるひとたちの集まりだなぁとあらためて実感するのです。
みんなから生み出される言葉を、まっすぐに、しっかりと、受け取っていたいなぁと思います。
Dear.
今日の僕は 明日の僕は この先もずっとずっと
伝えたいことが溢れてるんだ
今日の君へ 明日の君へ 僕しか出来ない事がある
きょうはこのへんで。
お読みくださりありがとうございました!🌷
やまだくんへ
新しいカレンダーにいちばんにしるしをつけた日が、いよいよやってきました。
5月9日。
山田涼介くん、
お誕生日おめでとうございます!
やまだくんは5月生まれだから、春の陽みたいにわらうのかな。ふわぁ、ほわぁ、って。やわらかくてあたたかい、わたしのだいすきなえがお。
つぼみが開くみたいだね。
春に桜が咲くくらいあたりまえに、すうっとすきになったひとです。
好きになったきっかけは今となってはよくわからないけれど、やまだくんはまるで春風のように、さらっと、ふわっと、わたしの心をうばっていきました。
歌詞の意味はよくわからないけれど そのやさしい声になぜだか胸がしめつけられて、どこか切ないほほえみに堪えられなくなって、思わず泣いたあのころ。
それから時が経って、今のわたしにはそのラブソングの意味もわかるようになりました。
いま、いっしょに時間を重ねられるしあわせを、あらためて感じています。
26歳のやまだくんは、どんな顔を見せてくれるんだろう?
今年のカレンダーの100問100答に、
10年後はいまのままの 「山田涼介」をずっと続けていないよ
という言葉がありました。
それを目にして、とってもわくわくしました。そう思えるのは、アイドル山田涼介に絶対的な信頼があるからなんじゃないかな。
きっと、26歳のやまだくんも、10年後のやまだくんも、たくさんのことを経験してその変化を自分の味方につけているのだろうなぁと思います。そして、根っこの部分は絶対に変わらない。
もちろんわたしは今のやまだくんがだいすきだけど、26歳のやまだくんは、10年後のやまだくんは、もっともっとすきなんだろうなぁ。
やまだくんの向く方が正解になるよ。
これからやまだくんが見せてくれる新しい顔が、今からたのしみです!
王子様、絶対エースと言われながら、それでも泥臭く努力し続ける姿勢がすき。
ありがとうや好きのきもちをまっすぐな言葉で話してくれるのに、自分が褒められるとすぐ照れちゃうところがすき。
自分が大切にしているものは何があっても譲らない、熱いところがすき。
血のにじむような努力で多くのものを掴んだやまだくんは今、努力だけじゃどうにもできないことがたくさんある世界にいます。
だけどやまだくんはなお、努力すること、走り続けることをやめません。
迷ってぶつかって立ち上がって。
ほかの誰でもない自分自身の手で作り上げた、自信や努力という武器を手に。
傷を輝きに変えて、きょうも戦うやまだくんはかっこいい。本当にかっこいい。
じょじょにわたしにも、努力が必ずしも勝負の結果となって現れるわけではないということがわかってきました。
でも、悩んで立ち止まったり懸命に走ったりすることは、それ自体がその人の魅力になるということをやまだくんは教えてくれます。
やまだくんが胸を張るとき、そこにある自信には努力という強い理由がある。
謙虚さとぶれない自信。
一見対の性質がありそうなそのふたつが、やまだくんの中では対の意味をもたずに、いっしょに存在している。
「声も出さないくらい超暗い子だった」とタッキーが言うほどだったやまだくんも今や王道のスーパーアイドルで。
だけど、ジャニーズに入ったあのころからやまだくんは、ずっと、ずうっと、「キラキラなアイドルになりたい男の子」なんだよなぁ…。
もちろんにじみでるかっこよさもあるのだけど、引っ込み思案で照れ屋さんなやまだくんが、アイドルスイッチをオンにして「スーパーアイドル」をしているところがすき。
アイドル山田涼介は、いろんなことを考えて、たくさん悩んで、その上で眩しく輝いているように見えます。自信があるように聞こえる言葉をやまだくんが口にするとき、それは自分自身を奮い立たせるための言葉のように感じるんです。(言葉そのものの意味ではなく。)
ひたむきでピュアで、切なくなるくらい努力の人で、困っちゃうくらいかっこよくて。まっすぐさ故にすこし不器用だけど、そんなところもやまだくんの魅力のひとつです。
あぁすきだなぁって噛みしめるように思います。
心が優しくつねられたみたいにぎゅうっとなります。
きっとそうやって、26歳のやまだくんへの「すき」もどんどん更新されていくんだろうなぁ。
もしもすきのポイントカードがあったら、たいへんな枚数になっちゃうね。
血の滲むような努力や忙しいスケジュールに対して、申し訳なくなったり無理しないでと言いたくなったりすることがあります。
だけどファンを不安にさせることを嫌うやまだくんにとって、わたしの心配はやまだくんを苦しめるんじゃないか、とも思います。
だから、やまだくんが「頑張ります」と言い続ける限りは、いいぞ!いいぞ〜!って、うしろから応援できたらいいな。
悩んでいること、飲み込んでいる言葉、ぜんぶ知りたいと思ってしまうこともあるけれど、まずは発信してくれるパフォーマンスや言葉をまっすぐに受け取って、信じていたいです。自分なりに向き合ってたくさん考えることを、忘れてはいけないなと思います。
や、と打ってやまだくん と出る携帯の変換予測。
やまだくんは占いを信じないと知りつつもチェックしちゃうおうし座の運勢。
日常生活の中で、ふと気づけばやまだくんのことを考えていること、些細なことからやまだくんのことがぽわっと浮かぶことがたくさんあります。
実際に伝えられなくたって、頭の中に 常にやまだくんという存在がいることそのものが、わたしを優しいきもちにしてくれます。
同じように、やまだくんの毎日にもちいさなしあわせのかけらがたくさんありますように、と祈るように思います。
めまぐるしい日々の中で、やまだくんがなにをしあわせに感じるかはわたしにはわからないけれど、それでも、しあわせでいてほしいと願わずにはいられません。
できるだけぱちっと目が覚めてほしいし、ふかふかのお布団で寝てほしいし、おいしいごはんをゆっくりたべてほしい。物理的にも精神的にも、あたたかくいてほしいです。
やまだくんをすきだなぁと思う時間は、わたしにとってとびきり心地良い時間で。
だけどその「すき」のきもちが、わたしだけじゃなくやまだくんのしあわせにつながってほしいと強く思います。
デリートキーを何度も何度も押して打った言葉が、
消しゴムを何度も何度もかけて綴った手紙が、
だいすき〜!って振るペンライトの光が、
すこしでもやまだくんのしあわせを作れたらいいな。
テンションが上がるのはどんなとき? ―ライブのとき、舞台に上がってお客さんの姿が見えた瞬間。この仕事をやっていてよかったと思うし、人生でいちばん幸せを感じる瞬間だから。
3日後に世界が終わるとしたら?―無理してでもライブを1回開く。
こう言い切るやまだくん。胸がいっぱいになります。
コンサートのとき、わちゃわちゃするじゃんぷやたくさんの光がきらめく客席を、気づけばやまだくんはとろっとろにしあわせそうなお顔で見つめるものだから、わたしはそのたびに胸がきゅうっとなって、その景色を守っていかなくちゃって思うんです。いつも守ってもらってばかりだけど。
それに、そんなやまだくんの目に映る光のひとつになれていることが、ものすごくうれしい。
わたしはその表情を見ているのが本当にだいすきなんだ!
やまだくんのことがすきなひとはたっくさんいるのに、その端くれのわたしの手すら置いていかずに優しくぎゅうっとしてくれるから。
眩しく輝いているやまだくんを見ているだけでじゅうぶんしあわせなのに、いっしょに新しい景色を見せてくれるから。
愛してもらってるなぁ、大切にしてもらっているなぁと感じます。
そう思わせてくれるアイドル山田涼介はやっぱり世界一です。
いま、言葉を紡いでいきながら、やまだくんがだいすきなことをあらためて実感しています。
胸を張ってだいすきだと言えるひと、
心からしあわせを願えるひと、
信じられるひと、
一生をかけても見つけられないようなひとに、
早くから出会えたわたしは本当にしあわせものです。
やまだくんに出会えたこと。
大げさに聞こえてしまうかもしれないけれど、一生分のしあわせを使い果たしたといえるくらい幸運なことだったなぁと思います。
それなのに、やまだくんは現在進行形でこれでもかというほどのしあわせをくれる。
瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」という本に
「母親になってから明日が二つになった」
という文章があります。
わたしもやまだくんをすきになって、明日がふたつになりました。
自分の明日と、やまだくんの明日。
たのしみに思えたり、ときには不安になったりする未来がふたつになりました。
やまだくんの未来をたいせつにしたいと思うからこそ、より自分の未来も大事にしなくちゃと思えます。
“今度君に会う時は今日よりも胸を張って”(KAZEKAORU)
うんうん、こんなきもち。
やまだくんがいてくれるからこんなことができるようになったよ、今はこんなことに向かって頑張ってるんだ、いつもありがとう、って、言える自分でいたいな。
やまだくんからもらったものを自分のパワーに変えて、毎日を一生懸命に過ごすことが、いまできるいちばんの恩返しなのではないかなぁと思っています。
やまだくんがそこにいるだけで、
やまだくんの笑ったお顔を見ただけで、
よしがんばろうと思えるときがたくさんあります。
毎日がんばらなきゃいけないことがそれなりにある中で、やまだ担であることが、わたしのひとつの武器です。
背中を押してもらったり、励ましてもらったり。頼りすぎるのはよくないけれど、やまだくんがいるからがんばれるということが多くあります。
そうやって今までわたしは、その小さくもおおきくがっしりとした背中に、幾度も守られてきました。
たぶん、気づけていないだけで、わたしがわかっているよりはるかにたくさん、救われているのだと思います。
本当にいつもありがとう。
わたしはHey!Say!JUMPのことがとっってもすきだけど、やまだくんには負けちゃうなって。
やまだくんのことがとっってもすきだけど、Hey!Say!JUMPには負けちゃうなって。
そんなやまだくんを、Hey!Say!JUMPを、すきでいることのしあわせ。
この1年も、やまだくんと、Hey!Say!JUMPと、泣いたり笑ったりして過ごしていくことができますように。
大切で、大切で、だいすきなやまだくんの1年が、両手に抱えられなくて困っちゃうくらいのしあわせで溢れますように。
書き始めてからずっと、このブログをどうやって終わろうかと考えていました。
さいごは、今年のカレンダーの100問100答でやまだくんが言っていた、「言われてうれしい言葉」を全力で叫ぼうと思います。(ちなみにわたしはふだんこれを呼吸するのと同じくらいのペースで思っている!)
やまだくんがうれしいとわたしもうれしい!
それでは。
きょうから始まる我らがエースの輝かしい1年を願って。
これを読んでくださっているあなたも、よかったらご唱和ください。
(すうっ)
やまだくん〜〜!!
かっこいい〜〜!!!!!
ありがとうございました!