星空のオルゴール

しあわせの数を訊かれたなら

ひとりぼっちとか言わないよ



やまだくん、
お誕生日おめでとうございます!

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(しあわせが重なってゆきますように…というおせち的発想のストロベリーミルフィーユ🍓)




寝る時間をいかにつくってゆくかを目下の課題としているいま、さすがにブログは書けないよなぁ…と、5月のカレンダーを眺めながら実はがまんしていたのです。
でも、いざきょうという日を迎えてみたら、やっぱりどうしてもいまのきもちをきちんと言葉にしたくなって、ひさしぶりにはてなブログにログインしました。

ブログもおてがみも、何度も何度も繰り返し書き直して言葉を紡ぐタイプなのですが、そういうわけで、今回は書き初めのように一発書きで勝負してみます。
硯にたっぷりの墨を用意して、背筋をぴんと伸ばして、気合はじゅうぶんです。一画一画、丁寧に書いてゆくよ。










きのうまでの1年はさまざまな点において、これまでとは大きく異なった1年でした。

そんな中、嬉しそうな笑顔で届けてくれたポッピンドリーム(祝再販!)とスペシャルバラエティーボックス。
ひたむきさがめいっぱい詰まった an・an。
責任と期待がかかった重要な役割を担って発信してくれた、「続けよう、僕らにできることを。」
へとへとの金曜日を優しく包んでくれた神崎さん。
白い光の中に響くあまい歌声が、夢みたいに綺麗だったシンデレラガール。
本気の目にすぱっと射抜かれた狼青年。
こだわりがたっぷり詰まった Fab! -Music speaks.- 。
さいごに口パクで伝えてくれた「(頑張ろう!)」のメッセージが忘れられない紅白歌合戦
ぼうぜんとしてしまうくらいにだいすきのきもちが溢れた「絶対のレッド」。
胸元のちょうちょ結びにばきゅんとやられてしまった レモラのCM。
ピンクの髪色に込められた温かな愛がたまらなく嬉しかった配信コンサート。
全方位完全無欠男ぶりを手加減なく見せつけられたジャにのチャンネル。

こうして思い返してみると、ことしも数えきれないほどたくさんの素敵な宝物を贈ってくれたのだとあらためて実感します。
やまだくんが届けてくれる夢をてのひらに載せて、その重みを感じる。瞳に映して、耳で楽しんで、口にして味わって。
やまだくんのお仕事ひとつひとつが、遠く離れたわたしの元までしっかりと届いていました。
やっぱりいちばんに伝えたいのは、ありがとうのきもちです。
この1年間、守ってくれて、ありがとう。

やまだくんのおっしゃる通り、輝かしくて参っちゃいます。
うそみたいだけど、決してうそなんかじゃなくて。温度のある確かなしあわせを、たくさんもらいました。








個人的には、すこし遠くから自分のペースでやまだくんのことを追いかけるようになりました。
やまだくんのことをたくさん考えられる時間だったツイッターを、おやすみすることに決めました。(そしてたまに顔を出してはとことん騒いで帰っていくという暴挙……)

これがつらくなかったと言ったらうそになるけれど、なだらかにすきでいるのもそれはそれでわるくなかったのです。
クラスメイトがAPEXの話をしていたときや、勉強中にふと顔を上げて時計を見たら 5:09 と表示されていたときなど、生活の中でやまだくんのことを思い出すささいな瞬間により敏感になりました。

また、リアルタイムでやまだくんの姿を見られることに、さらにどきどきするようにもなりました。
だいすきなひとと同じ「今」を生きていることを実感すると、なぜだか胸がぎゅうっとなりました。会えない時間が長くなればなるほど。


あとは、この1年で、やまだくんを追いかけていなくても生きてはいけることがわかったんだ(これはべつに知らなくてもよかったのだけど)。
でも同時に、やまだくんの横顔を見つめている人生のほうが 1993509兆倍うつくしくて、豊かで、すこやかで、最高だということも実感しています。
マインドのベースがとんでもなくネガティブだから、ちいさなミスをずるずると引きずってしまったり、( 生きている意味とは…。)などと考えてしまったりすることが多々あるのだけど、でも、わたしはまだまだこの世界で見たいやまだくんの表情やいっしょにつくりたい景色、味わいたいきもちがたくさんあります。
そのおかげで、この世界でもうすこしがんばってみようと思えるのです。


また、これまでわたしはやまだくんのことを考える時間をたくさん持つことができていたからこそ、自分のことを受け入れられていたのだとわかりました。
「こうありたい」から程遠い、完璧じゃない自分をいつまで経っても認められなくて。
そういうきもちをいつにも増して強く感じているときは気づけばいつも、やまだくんのお顔を何日も見ていませんでした。
やまだくんの存在を感じると、わたしがわたしという輪郭の中に戻ってゆく感じがします。
そうするとふしぎなことに、深呼吸する余裕が生まれているのです。

僕たちを見ることで、ファンの方達が泣いたり、笑ったり、色々な感情を表現してくれた時に自分たちの存在意義を感じる。

ことしのカレンダーのインタビューでの言葉。
わたしもやまだくんのことを見て、泣いたり、笑ったり、簡単に言葉にできないきもちを感じたりするときに、「わたしは生きてる!!」というきもちでからだをいっぱいに満たすことができます。
元々冷たい性格であることに加えて、最近はとくに、すぱっと割り切ったりあきらめたりしないといけないことが多くあります。
そんな中で、わたしは他の誰でもない山田涼介さん ただひとりのことを、ありったけのきもちを携えて想い続けているのだなぁ…とあらためて思うと、自分にもかわいいところがあるんだなぁと、ちょっぴり愛おしく思えます。
なかなか自分のことを認められないけれど、自分じゃないだれかのことをここまで想えるのだという事実はわたしの誇りです。


わたしは、やまだくんのことを考えているときのわたしがいちばんすきです。
損得勘定とは遠くかけ離れた場所であなたを心から大切だと思えることや、わたしがどんなにだめだめでも変わらずそこでおだやかに笑っていてくれることが、こんなにも貴重でこころに良いことだったのだと気づきました。







それに、やまだくんの「今」を追いかけることはできなくても、やまだくんがそばにいてくれたから乗り越えられたことがたくさんありました。

部活動の大会の日の朝、Oh! my daring を聴きながら髪を結ったこと。

大きな会場で英語のプレゼンテーションをしたとき、ステージに立つやまだくんの姿を思い浮かべながら制服にピンマイクをつけたこと。

まだ誰もいない朝の図書館で スケジュール帳にしのばせたやまだくんのお写真を見て、ようしやるぞと気合いを入れたこと。

この1年のわたし自身のことを思い返してみても、変わらずやまだくんが近くにいてくれました。


テストで良い結果が出たとき、だれかに披露したいささやかな豆知識(魚の血液型はどれもぜんぶA型らしい、とか)を手に入れたとき、近所にできたパン屋さんのクロワッサンを頬張ったとき。
こころがやわらかくなった瞬間にやまだくんのお顔が頭の中にぽっと浮かぶことも、とびきりしあわせなのでした。


遠い遠い存在のはずなのに、
名前を呼べばすぐに振り向いてくれるような、
手を振ればほほえんで振り返してくれるような、
ぎゅっと手をつないで隣を歩いてくれるような、
そんなやまだくんがだいすきです。

何度言っても足りないけれど、ほんとうにありがとう!










年末に大掃除をしていたら、昔使っていたスマートフォンが出てきました。
ためしに充電してみたらちゃんと起動することができたのですが、その中にメモ帳のアプリが残っていました。そうしたら、「山田くんのことば」というフォルダがあったのです。
その中には、雑誌やラジオなどでやまだくんが伝えてきてくれたお守りみたいな言葉たちがたくさん並んでいました。
とつぜん心臓をてのひらで優しく包まれたような気がして。どきっとしたけれど、それを大きく上回る安心を感じました。

うまくいかないときや落ち込んでしまったとき、なんだかやる気が起きないとき、勝負のとき。わたしはそうやって心強いお守りを携えて歩いてきたんだな、と嬉しくなりました。
でも同時に、いつまでも頼ってばかりだなぁとも思いました。

わたしはやまだくんを「担当」しているわけなのだけど、これじゃあわたしがやまだくんに「担当」されているみたいです。
もっと自分の足で歩けるようになりたいと、差し伸べられた手を握るたびに思います。





だけど、と ここで逆接の言葉を打ちながら考えます。




やまだくんには、そんなときがないのかな。
なんだかんだ言ってけっきょくひとりぼっちだなぁ とか、いくら頑張ってもたちうちできないことってあるよなぁ とか、いったい何に向かってこんなに走ってるんだろう と、そんなきもちを抱えてなにかに縋りたくなる夜はないのかな。




ないといいな。




でも、人生最高!ってずうっと思い続けることはとてつもなくむずかしいことだから、やまだくんがさみしいときやかなしいときに救いとなる光が近くにちゃんとありますように、と願っています。

カインとアベル の優くんのセリフの中に、
「俺知らなかったよ。きのうと変わらないってことが、こんなにも安らぐことなんだって」
という言葉があります。

変わることはわるいことではまったくないけれど、絶えず動いていく毎日につかれてしまったり、あまりの忙しさにこころがすり減ってしまったりしたときに、わたしの笑っちゃうくらいに揺るがないすきのきもちが、やまだくんのこころをすこしでもまあるくできたらいいのにな、と思います。

わたしが頼ってばかりじゃなくて、お互いにそうやっていられたら、どんなにいいだろうと思います。
やまだくんがくれるしあわせをわたしがお守りにしているみたいに、やまだくんが自分に向けられた「すき」をお守りにしていてくれたらいいなと思います。

やまだくん、いつでもわたしはここにいるよ。いつでもだいすきだよ。



やまだくんのきもちは、やまだくんの「今日」は、絵本の中のお話ではなくて。頑張れることも、当たり前のことじゃない。

とびきり綺麗な夢を見せてくれるものだから忘れてしまいそうになるけれど、やまだくんもいまこの島のどこかで戦っているんだよね。
やまだくんの頑張りを、踏ん張りを、美談みたいに消費するのではなくて、自分の中にちゃんと取り込んで、確かに循環させてゆきたいです。

がんばれた日も、そうとは言えない日も、きっとどちらも大切な1日なのだと思います。
がんばれた日も、そうとは言えない日も、どんなときだってやまだくんはわたしの一等賞です。
晴れの日も、くもりの日も、雨の日も、わたしはやまだくんのことがだいすきです。
わたしのすきなひとは、ほんとうにほんとうに素敵なひとです。












5月9日。

目まぐるしく変わっていく環境の中で、この日を目印のようにして 胸の中の変わらないきもちをあらためて抱きしめられることを、心から嬉しく、しあわせに思います。

ストイックできらきらとした部分が広く知られているけれど、やまだくんはまっすぐな優しさを根っこに携えている、透明でやわらかいひとだなぁと思っています。
だから、木々が緑に輝いて、お花たちが優しく芽吹く季節に生まれたということがとってもやまだくんらしいなと感じて、5月と握手をしたいきぶんです。



27歳のやまだくんへ、
1年間わたしのすきの宛先でいてくれてありがとう。

いまこの瞬間をこの島のどこかで生きている28歳のやまだくんへ、
出会ったばかりですが、わたしはあなたのことがだいすきです。これから1年、どうぞよろしくおねがいします!







やまだくんを見ていて、いとおしいなぁ、かわいいなぁ と思うことはたくさんあるけれど、でも、ほんとうは手なんて届きそうもないくらいはるかにずっとずっとずっと大人なひとだってことも、ちゃんとわかってるよ。

だからわたしは、くらくら目眩がしちゃうほどに大きな背中を追いかけて、全速力で走ります。

やまだくんの知らないところで、やまだくんに力をもらいながら、走ります。

だからやまだくんも、わたしが知りうるところだけでなく、知らないところでもとびっきりしあわせでいてください。

やまだくん自身が目標を定めるのがすきではないみたいだから わたしがなにか具体的に書くことはしないけれど、
やりたいことをめいっぱいやって、とびきりの愛に囲まれて、心からたくさん笑えるような、そんな素敵な一年になることを心から願っています。
(ゲームもたのしんでほしいけど、ときどきはぐっすりたっぷり眠ってください。)








K2の撮影現場でのやまだくんのように、
「月が綺麗だな、明日晴れると良いですね」と、言えるわたしでいたいです。
ひとりの帰り道でこそ、泣いてしまいそうなときにこそ、空を見上げて、そう思ってみることにします。
だから、おこがましいけれど、きょうからはじまる新しい日々を わたしもいっしょに頑張ります、と言わせてください。

わたしが見上げる空は、やまだくんの空とつながっているから、きっとだいじょうぶだよね。







“ ひとりぼっちとか言わないよ、僕の愛はここにあるよ ”