星空のオルゴール

しあわせの数を訊かれたなら

愛のまんなか

“あしたのやまだくんはどんな顔を見せてくれるんだろう”

“あしたのやまだくんがとびきりしあわせだといいな”



そんなことを思いながら眠りにつくことを繰り返していたら、気がつくときょうになっていました。




5月9日。




山田涼介くん、お誕生日おめでとうございます!



いちごのタルトでお祝いだ〜!🍓



今年もまた、生まれてきてくれてありがとうと言えること、とっても嬉しいです。
おてがみやブログを書くたびに、すき というきもちは感情の中でもいちばん言葉にするのが難しいのではないかと思ってしまうのですが、言葉にしないと溢れてこぼれていってしまうから、いまのきもちを丁寧に紡いでいこうと思います。









やまだくんにとってこの1年は、どんなものになったのかな。

今年は本当に怒涛の1年で、“マジでよく働いたな”って自分を褒めてあげたいくらい。

ひとつひとつのお仕事を通してやまだくんが感じたことを、ブログや雑誌などを通して知ることができて、わたしはとってもしあわせでした。
あらゆるお仕事に真正面から真剣に挑んでいるということがひしひしと伝わってきて、知れば知るほど、やまだくんへのすきが大きくなっていきました。
目まぐるしい毎日を駆け抜けていく中で、やまだくんはたくさんのことを感じて、考えているのだと、あらためて知りました。
同時に、わたしなりにも、さまざまなことに思いを巡らせた1年でもありました。

自分に嘘をついて生きていくことが正解になることもあると考えていること。
何をどう感じているかは包み隠さず話したいと言ってくれるところ。
立ち止まっていてはダメな立場にあると思っていること。
求められれば応えたくなると繰り返し言い切るところ。
未来に関することを公にしたがらないこと。
自分はどこか壊れていると思っているところ。でもそうでないと前に進めないのだと断言するところ。

ぜんぶぜんぶ、大切にしたいやまだくんのきもちです。


すこし前までは、やまだくんが思っていること、考えていること、ぜんぶ知りたかった。教えてほしかった。

でも、いまはちがう。

悩んでいること、悲しかったこと、くやしかったこと、抱えているもの、そんなことがすべて混ざり合っていまのやまだくんがいるのだから。
それらをぜんぶ知ることはできなくても、いま目の前で笑ってくれているやまだくんをめいっぱい全力で愛していたいな、と考えるようになりました。

やまだくんを「自担」と呼ぶようになってからずいぶん経ったけれど、わからないことはまだまだたくさんある。だけどそれくらいがちょうどいいなって。
やまだくんのことを、いまよりわかったりわからなくなったりしながら、もっともっとすきになっていきたいです。


そして、やまだくんが「伝えたい」と思って伝えてくれる言葉をまっすぐに受け取っていたい。
やまだくんの言葉たちは、やまだくんが考えて、明確な意思を持って発信してくれたものだということを忘れずにいたい。

誰がなんと言おうと、わたしがいちばんに信じるのはだいすきなやまだくんの声で、いちばんに守りたいのはだいすきなやまだくんの笑顔です。













アイドルでいることに真摯なやまだくん。

そんなやまだくんのファンであることを、わたしは心から誇りに思っています。

「アイドルも正直、すごく“演じている”んです」

わたしがすきになったやまだくんは、ほんとうのやまだくんとは違うのかもしれない。

だけど、それで良いのだと思わせてくれるほど、アイドル 山田涼介は誠実なひとです。
わたしにとっては、やまだくんが見せてくれる「山田涼介」がすべてで、
やまだくんがファンに見せたいと思って見せてくれる世界を心から愛しています。

(でもね、やまだくんが意図していないところでぽろっとこぼれるかわいさもかっこよさもわたしは知ってるよ、そんな無自覚の魅力もわたしはだいすきなんだよ、なんて、ちいさな声で添えておきます。)












ふわふわのパンケーキを口にしたときのような、とろけるしあわせ。
少女漫画を読んでいるときのようなときめき。
綺麗な景色を前にしたときのような、絶対に届かない距離とその存在の大きさを眩しく思うきもち。
話したことのない先輩の横顔を見つめるように、その笑顔を、声を、ひとりじめできたらと思うときの切なさ。

「すき」とまとめてしまったらそれまでなのだけど、やまだくんがくれるきもちにはたくさんの種類がある。

もう、『娯楽』とは呼べないほどやまだくんをすきでいることにさまざまなものを懸けていて、
やまだくんの存在が、こころのいちばん大きなところを占めている。
だからこそ悩んだりくるしくなってしまったりすることもあるのだけど、
結局あとになってみると、そうしていたことすらしあわせと呼べて(これはやまだくんのおかげ)、
やっぱりすきになってほんとうに良かったなぁと思うのです。

さまざまな方向から、さまざまなタイミングで差し伸べられる手の中で、やまだくんの手を握り続ける日々。
どんなときもやまだくんがいちばんにいる毎日は、わたしにとって、なににも変えがたいものです。(…正確に言うと、選ぶ余地もなくやまだくんに夢中なのです。)

やまだくんがくれる優しさにぼろぼろ泣いたり、
もう何億回も見ているはずのお顔に新鮮なきもちでときめいたり、
更新されたブログを読んで携帯を抱きしめたり、
木曜日の夜、だいすきな甘い声を聞きながらベットの上で悶えたり、
寝ぼけ眼で携帯を開くと大きなお仕事が決まっていて朝から小躍りしたり。

やまだくんがそばにいてくれる毎日が、しあわせでたまらなくて。
やまだくんのくれる毎日は、わたしのたからものです。









この1年は、わたしを取り巻く環境が大きく変わって。
毎日が目まぐるしくて、つらいと感じることも増えて。

やまだくんのしあわせはわたしのしあわせであることは紛れもない事実なのだけど、わたしがしあわせになるためにはわたし自身の努力が不可欠なのだなぁと、痛いほどに実感した1年でもありました。
当たり前だけど、やまだくんのことだけを考えているだけでは生きていられなくて、すこし離れてしまうこともありました。

ハードなスケジュールの中で研修や課題、テストや試験に追われていたあるとき、「やりたくないとかできないとかじゃなくて、やるしかないんだよね」と言ったわたしに、ともだちが「やまだくんの血を引いてるね」という言葉をかけてくれました。
もちろんわたしの「大変」がやまだくんの足元にも及ばないのはわかっているけれど、その言葉がとってもとっても嬉しかった。

そのとき、離れている、と思っていた時間も、きっとやまだくんがこころのお守りでいてくれたんだろうなぁと気づきました。

やまだくんはわたしに、日々を懸命に生きることのかっこよさを教えてくれた。
やまだくんは すぐに下を向いてしまうことが多かったわたしを、顔を上げて立ち上がれるひとにしてくれた。


……こう書くとわたしがとっても強いひとのようになってしまうのだけど、そんなことはまったくなくて、へこんでいることのほうが圧倒的に多いです。
だからこそ、やまだくんが「泣いてもいいんだよ」と優しく包み込んでくれるような存在でいてくれることも、わたしにとってほんとうに大きいんだ。

やまだくんを見ると、その声を聞くと、こころがゆっくりほどけていく。やまだくんが愛に溢れた優しくて温かいひとだから、わたしは泣きたいときに泣くことだってできます。

生きているとたのしいことばかりじゃなくて、いますぐにでもこの状況から逃げ出したいと思うことがときどきあるけれど、すきなことや大切にしたいものがあると、眠ろうと目を閉じたときや朝起きたときのきもちがすこし前向きになる。
優しくない現実が変わるわけじゃないけれど、そのことにもものすごく救われています。

踏んばらなきゃいけないときに思い浮かぶのはいつだってやまだくんで、自分のこころのまんなかにやまだくんがいるという事実が優しい安心をくれる。きゅっと気を引き締めてくれる。


いつもありがとう。



必死に年号を覚えていたきのうと、だいすきなひとたちにひさしぶりに会えたきょうと、また自転車でいつもの坂を上って学校に向かうあしたが、きちんとつながっているということ。
とびきりの特別がわたしの日常の中にちゃんと存在していること。
この事実も、わたしのおおきな支えになっています。


やまだくんがしあわせなときにいっしょにしあわせでいたいから、そのためにも、毎日を頑張らなくてはいけないなと思います。
これは、27歳のやまだくんを応援するわたし自身の決意表明!

















きょうも相変わらず、わたしはやまだくんのことがだいすきです。
やまだくんのことを考えていると、蒸発して消えてしまいそうになることがあります。
なぜだかわからないけれど、ときどき無性に泣きたくなる。すきすぎて。

ほんとうに、ほんとうに、すきですきでたまらなくて。
もし一生の中で持てるすきのきもちの量が決まっているのだとしたら、今の時点でその大半を使っているような気がしているくらいです。

それゆえ、
このきもちはこれからどう変わっていくんだろう、
未来のわたしはこのきもちをだれに向けているんだろう、
と胸がざわざわしてしまうことがあります。

でも。

「ずっと」は不確かでぐらぐらしているけれど、やまだくんのしあわせを願う日々を静かに丁寧に積み重ねてふと後ろを振り返ったとき、そこに「ずっと」が存在していたらいいなぁと思っています。




わたしはやまだくんの、
「僕の道はここしかないという確信がある」
という言葉を、すこしもためらうことなく信じ切っている。

アイドルとしてステージに立つときは「僕の土俵」だと思うやまだくん。
ステージに立っているやまだくんは誰も真似できないオーラを放っていて、その横顔を見ていると、知らず知らずのうちにペンライトをぎゅっと握っているんだよ。

なんだか、やまだくんは永遠にアイドルで、かぎりなくわたしの前で笑っていてくれる気がしてしまうんだ。
だけど、その予感が正解か否かというのはそれほど問題ではなくて。
わたしが言いたいのは、やまだくんはそんな大きな未来さえも信じさせてくれるようなアイドルなのだということです。
軽やかに、だけど大事なことを誓うような重みのある感覚で、いっしょに笑っている未来を信じられる。
わたしが思い描いている未来に、当たり前のようにやまだくんも存在していることが、とびきりしあわせなことだなぁと思います。

ずっともぜったいもないこの世界で、そう思わせてくれて、ありがとう。



若いうちは好きでいてくれても、大人になって守るものができたときに、僕の存在は薄れていくことがあるわけですよ。
でもたとえば娘さんが成長したときに『山田くんっていうアイドルがいてね』みたいな感じで思い出話に僕が出てきたら、それはうれしいです。

やまだくんから離れてしまうときが来たとしても、いま、わたしがやまだくんのことがだいすきで、そのことに救われて、泣いたり笑ったりしながらしあわせな日々を送っている事実は変わらない。
続いても続かなくても、この毎日がたからものだということは、わたしがいちばんわかっている。
続いても続かなくても、きょう、5月9日は、わたしにとって一生特別な日だ。
きっと毎年、この日を迎えるたびに、わたしはやまだくんのことを想うのだろうと思います。

だいすきが高まるとひとは泣いてしまうのだということも、
しあわせに包み込まれたときの言葉にできないあの感覚も、
わたしにはじめて教えてくれたのは他の誰でもないやまだくんです。
これも、一生変わらない事実。

どんな未来が待っていたとしても、未来のわたしが、
いまのわたしを、やまだくんを、ぎゅうっと抱きしめられていたらいいなぁ。





ここまですきになることは不可抗力だったように思うけれど、
ファンクラブの「好きなアーティスト」の欄に「山田涼介」と書いたあの日も、
どきどきしながらはじめて買ったCDも、
会いに行く予定ができるたびに爪に丁寧に塗る赤色も、
一言では片付けられないほどに育ったこのきもちも、
いまこのブログを書いていることも、
すべてわたしが自分の意思で選択したことです。

いまやまだくんがアイドルでいることと、いまわたしがやまだ担でいること。

それは、それぞれの選択が積み重なって作り上げられた、たいせつな「いま」なんだなぁと、噛みしめるように思います。
















やまだくんは、愛のひとです。

セミオのように一生をかけて幸せにしたいと思える人に出会いたい気持ちは、みんなあるんじゃないかな。僕の場合はファンの人がそう。雑誌やテレビに出させてもらうことで誰かが幸せになってくれるのはすごいことだし、仕事をするうえで重きを置いているところです。

やまだくんがわたしたちへ贈ってくれる愛は、あまりにも温かくて、まっすぐで。
わたしはなんてしあわせものなんだろうと、胸がいっぱいになります。


一度目が合ったら目を逸らせなくなるような、どこにいたってそこがまんなかになるような、やまだくんのパフォーマンスがすきです。


見せたいもの、やりたいことがたくさんあるのだと教えてくれるときの、エネルギーに満ち溢れたやまだくんの笑顔と言葉がだいすきです。







26歳のやまだくんを見つめながら、このひとをすきになってよかったと何度も何度も思った。

いっしょにお仕事をしたJr.のみんなや俳優さん、監督の方からやまだくんについてのお話を聞いて、間違いのないひとをすきになったのだと何度も何度も思った。

「30代に向けてもっともっと知らない自分を知っていきたい」という言葉を聞いて、その飽くなき探求心を誇らしく感じ、そんなやまだくんの背中を追いかけていたいと何度も何度も思った。

26歳のやまだくんが幾度となく見せてくれた 優しくて頼もしいお顔が、わたしの目に焼き付いている。


パレードが始まる で、「次は僕に任せてよ」と歌いながら自分のほっぺを人差し指でぽんぽんとするやまだくんが、
まるで「ぜったいにしあわせにするから」と言っているようでたまらなかった。
このひとについていったらわたしはかならずしあわせになれる(もうすでにしあわせだけど!)と確信した。

こうして積み上げられた、信頼に近い愛が、決して揺らぐことなくわたしのこころの中で光っている。

26歳のやまだくんにも、これでもかというくらい大切にしてもらいました。守ってもらいました。とびきりたくさんの愛をもらいました。

ほんとうに、ほんとうに、ありがとう。


















やまだくんのことを「一緒にいればいるほど、知れば知るほど、好きになる」とお話してくださった、記憶屋の石塚プロデューサー。

パレードが始まる で、王子様の衣装に身を包んで「I Love You」と歌い上げるやまだくん。

「ひとりぽっちの夜」と歌うやまだくんの周りに、優しいお顔でぎゅっと集まるじゃんぷのみんな。

Oh! my daringを歌うやまだくんの目に映る、赤いペンライトの海。


愛が循環していく空間。
そのまんなかにいるやまだくんを見ているのがしあわせでしかたなくて、27歳のやまだくんにも変わらずそこにいてほしいな、と祈るように思います。


愛にくるまったやまだくんの、
愛のまんなかにいるやまだくんの、
わたしのだいすきなあまいまんまるのほほえみが、今年もたくさん見られますように。


やまだくんのきょうが、あしたが、その先が、やわらかな愛で溢れていますように。






ありったけの愛を込めて。